プライベート・セッション

shit_pieのセラピーブログ。

広末涼子 - ARIGATO! (1997年) by 天野龍太郎

f:id:shit_pie:20180504234739j:plain

 庵野秀明が「新人」として実写映画監督デビューを果たした『ラブ&ポップ』で、コギャルではないごく普通の女子高生たち4人が、中年の、サラリーマン風の男と“大スキ!”を歌っている。1997年の夏、渋谷の街のカラオケで。「写真いっぱい撮ったね/『今すぐ見たいよぉ』」。主人公の裕美(三輪明日美)は、刹那的に過ごしている日々の断片を切り取っておくために、小遣いを貯めてコンパクト・カメラ(もちろん当時はフィルム)を買ったのだった(映画のクライマックスで、浅野忠信演じる狂った男、キャプテンEOとラブホテルへと向かう道中でも裕美は、パシャパシャと無邪気にシャッターを切っている)。カラオケがひとしきり盛り上がったあと、男はうやうやしい手つきで4人それぞれにマスカット1粒を口に含ませ、それを吐き出させ、回収し、丁寧に容器に保存する。12万円を彼女たちに手渡し、男は雑踏へと消えていく。「今日ね/すごくね/むちゃくちゃ楽しかった/ありがと。ダーリン」。

 岡本真夜が書いた“大スキ!”は、スクラッチブレイクビーツのイントロダクションから、ソウル風のホーンがきまり、オルガンとアコギがレゲエのビートを刻んでいく――キメラ的なハイブリッド感が絶妙な、まごうことなきJ-POPソングだ。あるいは、竹内まりやの手になるデビュー・シングルの“MajiでKoiする5秒前”もある意味ハイブリッドで、というのもその曲では、モータウン(アメリカ北部)の“恋はあせらず”のビートを借りながら、スタックス(同南部)のソウル・チルドレンの“I Don't Know What This World Is Coming To”がサンプリングされている。

 そのハイブリッド感覚とは、「アフリカ系アメリカ人の音楽なら(北だろうと南だろうと)同じだろう」という軽薄で隙だらけの予断からくるもので、あるいは、あらゆる文脈を断ち切ってしまう、超日本的なポストモダン感覚と言い換えてもいい。とはいえ、しかし、この2曲から聴取すべき厳然たる事実はもっともっと表層的なもので、それはつまり、小沢健二の『LIFE』(1994年)や“痛快ウキウキ通り”(1995年)のサウンドが、その後4、5年はJ-POPシーンの良識的な作家たちにかなり深刻なトラウマを植えつけたのだ、ということだろう。

 その「小沢健二のトラウマ」に悩まされながらも独自の色を作品に落とし込んでいるのは、全編に渡って編曲を手がけている藤井丈司である。『ARIGATO!』は彼の仕事を楽しむアルバムでもある。原由子や元ピチカート・ファイヴの高浪敬(慶)太郎といったアルチザンたちが書いた楽曲を、ある曲ではオーセンティックに、またある曲ではR&B風に、さらにはテクノポップ風に調理している。

 小沢健二は「王子様」としてオリーブ少女たちのカルトな信仰を集めた一方で、広末涼子のピュアでウェルメイドなアイドル・ソングは援交少女たちのサウンドトラックとされた(すくなくとも、『ラブ&ポップ』においては)。少女は片思いの相手をデートに誘い、「さり気なく腕をからめて/公園通りを歩く」(“MajiでKoiする5秒前”)。ここでの小沢健二の歌詞とのちがいは、主語の性別くらいのものだろう。だがそのちがいは、少女たちにとってはおそらく大きいはずだ。たとえ他人が書いたリリックを偶像、広末が歌わされたものであったとしても。2000年代のリアルを担ったのが浜崎あゆみだったとして、では、2010年代は? 2016年、JKリフレ嬢たちのサウンドトラックはどんなものだろう。彼女たちにとっての広末涼子はいま、誰なのだろう。 (20 Feb. 2016)