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shit_pieのセラピーブログ。

Mr.Children - 深海 (1996年) / BOLERO (1997年) by 方便凌 (BOOKOFF Zombies pt. 2)

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 信藤三雄がアートワークをデザインしたデビュー・アルバムだとか、ファクトリーのバンド、レイルウェイ・チルドレンに由来したバンド名などから「ミスチルはもともと渋谷系だった」という話があるが、実際、若き日の桜井和寿スタイル・カウンシルが好きだったものの「ああいう音楽は日本ではウケない」と感じていた(その後、フリッパーズ・ギターの登場に衝撃を受ける)。まだ国民的スターになる以前に、『CDでーた』誌の企画でL⇔R黒沢健一とともに参加した「CD100選」では、黒沢ほどマニアックではないものの、洋楽のインディものもそこそこチョイスしていたという(残念ながら現物確認できず。情報お持ちの方、ご連絡ください)。

 だが、「ミスチル渋谷系だった」ことよりも、「ミスチル渋谷系をやめた」ことの方が我々に多くの示唆を与えてくれるのではないか、と僕は思う。僕ら(サブカル)は、渡辺満里奈小沢健二ではなく名倉潤を選んだ事実を深く受け止めなければならない。「スタカンは日本人にはウケない」という洞察はあまりに正しく、ミスチルは初期の甘酸っぱくてオシャレなラブ・ソングではなく“innocent world”に顕著な疲弊した現代人のための精神論へとシフトしていくことで、より大きな規模の支持を獲得していくこととなる。「L⇔Rは売れなかったけれどミスチルは売れた」というのはそういう舵取りができたかどうかということでもある。

 そしてバンドが巨大化していく臨界点に発表されたのが『深海』と『BOLERO』の二枚だ。わずかなスパンでリリースされた両作はもともと「青盤」と「赤盤」のダブルアルバムとして発表される予定だったこともあり、実質的な双生児である。結果的にはそれぞれ日本の歴代アルバム売上ランキングの31位(274.5万枚)と14位(328.3万枚)という記録的なセールスをおさめた。“Tomorrow never knows”、“シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~”、“名もなき詩”etc.……。「ゾーンに入っていた」としか思えないほどの傑作を連発したシングル群もさることながら、当時のUSオルタナに目配せした、乾いたRAWなロックサウンドは時流を捉えている(その分、94年リリースの“Tomorrow never knows”のサウンドはアルバムのなかで浮いてしまっている)。「失くす物など何もない/とは言え我が身は可愛くて/空虚な樹海を彷徨うから/今じゃ死にゆくことにさえ憧れるのさ」(“深海")という歌詞を桜井がどれだけガチな気持ちで歌っていたのかはわからない(戦略として渋谷系をやめるぐらいの男なのだから)が、「95年以降」という時代の追い風を受けていたことは想像に難くない。

 しかし本作中で最も気を吐いているのは、刺激的なロック・サウンドにポップなカラーを落とし込んでいる部分だろう。“ありふれたLove Story ~男女問題はいつも面倒だ~”のブリッジにおける転調や“ハロー・グッドバイ”を彷彿とさせるコーラスの上昇音階、または“タイムマシーンに乗って”におけるホーン・セクション、リバースしたクラッシュ・シンバル、スライド・ギターが三位一体となった中間部を見よ(聴け)。『マジカル・ミステリー・ツアー』期ビートルズへの強い忠誠心があらわれているこれらのアレンジメントは、小林武史の辣腕がなければ実現しえなかった。ビートルズ的イディオムに関して小林は、サザンオールスターズの諸作品などでもすでにその高度な技術を発揮させていたが、自身もメンバーの一員であるMy Little Loverにおいてはさほど影響の片鱗を見せなかったのは〈ビートルズジョージ・マーティン=4ピースのボーイズ・バンドとプロデューサーという関係の中でそれをやる〉ことへの拘りがあったのだろうか? なんにせよ(ブリットポップ以降の)1990年代後半から2000年代前半にはPUFFYタンポポなど、ビートリー・サウンドを彷彿とさせるJ-POPはそれなりに登場したものの、記号的というか、わかりやすい引用に留まるものがほとんどであることに比べると、小林の仕事は実に通好みのソレであり、「マスに訴求しつつコアに追求する」というロック・バンドとしては理想的な姿勢で確かな成果を残したといえよう。

 『深海』、『BOLERO』から20年経ったいま、若者はミスチルを聴かなくなったし、ヒット・チャートからはビートルズの遺伝子を受け継ぐ音楽は消えた。この20年という歳月はいったい何だったのだろうか? 彼らがそぐわなくなってしまう時代とは何か、ということである。個人的には、桜井は脳梗塞で倒れて戻ってきたあと、環境活動に取り組むのではなく、もう一度不倫をするべきだったと思っている。そして「♪僕の自意識にもドロップキック」くらいのことを歌っていたらまた何かが始まっていたかもしれない(し、終わっていたかもしれない)。 (20 Feb. 2016)