プライヴェート・セッション pt. 2

shit_pieのセラピーブログ。

日記(友だちに会ったり会わなかったりしたはなし)

 転職が決まった。3年半、地べたに這いつくばるような仕事を続けていたけれど、ついに音楽関係の仕事に就くことができたからよかった。今月は有給消化でほぼ一ヶ月間夏休みなのでいろいろとやりたいことをやろうと思う。方便と四国、関西へ旅行へ行く予定も立てた(目的は小鉄に会うことだ)。思えば、学生のころは休暇中も部活動やバイトをしていたわけで、こんなにやることのない長期休暇ははじめてかもしれない。人生にはヴァケーションが必要である。ロング・ロング・ヴァケーション。

 

 8月25日

 旅行のことをはなすために下北沢で方便と会った。待ち合わせのあいだにヴィレッジヴァンガードに入ると、KEYTALKのサイン会をやっていて、わきゃわきゃした女の子たちで店内がごった返していた。KEYTALKのファン層ってぜんぜん想像できないけれど、こうやって目の前に現れるとこんな感じなんだと納得する。バンギャっぽい服装の子もいれば、ちょっと暗い感じの、一人で来てひたすらスマホをいじっている子もいて、見ているだけでおもしろい。

 CLUB Queの上のサイゼリヤへ。ひかりん@婚活コンサルが巻き起こしたサイゼリヤ騒乱後初のサイゼリヤ。ひかりんもおすすめのエスカルゴをはじめて食べたけど、これがすごくおいしかった。隣席、まあまあ歳のいったスーツ姿の男性と全身にタトゥーを入れた若い男の2人組がおそろいのメビウスを吸っていたから気になった。

 

 8月28日

 マーライオンからLINEが届く。いろいろな頼まれごとが曖昧なかたちの豪速球で飛んで来るので苦笑いする。ユナイテッド・シネマとしまえん(自宅から自転車で30分くらいで着く)で『ワンダーウーマン』を観たけれど、もやっとした。ガル・ガドットをシオニストだとして批判する記事を読んだせいもある。だいたい、ドイツ軍を悪者にするあたり、アメリカ映画の想像力の怠慢である。リベラルなひとたちが絶賛しているのに距離感をおぼえた。結婚記念日なので近所のTuscitaでディナー。スパークリングワインはおいしくて、牛タンはおそろしく柔らかくて、スタッフは笑顔が輝いて見えるイケメンだった。BGMはスティーヴィー・ワンダーだった。

 

 8月29日

 有村くんのブログがすごくいいなと思った。やっぱりこういうのがブログだし、こういうブログを読みたいよね。有村くん、会ったことないけど。いつかどこかで会えるといいな。夜勤入り。

 

 8月31日

 夜勤明け。あらべぇくんが大学を卒業したらしい。おめでとう。ぼーっと生きていると、はじめて会ったときには未成年だった友人がいつのまにか社会人になったりしているからおそろしい。アラサーの憂鬱。そんなあらべぇくんは折に触れて「音楽をやろうよ」とけしかけてくれる。このあいだはDMで機材のことをいろいろと教えてくれた。Ableton Liveと機材を買ってなにかやろうかな、と思ったり。ただ、ぼくのMacBook Proは10年選手なので、まずはこっちを買い換えないといけないかもしれない。

 

 9月1日

 夏を強制的に終了させた完璧な秋の気候で感動した。無慈悲な人間だから、妻が風邪でふせっているのを尻目に新宿へ。ガンジーでカレーを食べた。BGMはまたスティーヴィー・ワンダーだった。バルト9で『ベイビー・ドライバー』を。おもしろくないわけじゃないけれど、音楽のセンスからして初期のタランティーノを過剰にしたような感じだったし、なによりエドガー・ライトのあのユーモアが激減していたのに困惑した。

 紀伊國屋書店の通り抜けできる通路を歩いていると、偶然、小田部仁に会った。あのテラスハウスの。テラスハウス、観たことないんだけど。あいかわらずテンションが高くて、「あいかわらずかわいいね」と言いながらべたべたされて不快だった。Yogee New Wavesの沖縄公演に自腹で着いて行って、写ルンですで写真を撮って、ルポを書いたはなしを聞いた。「最近、なにを聞いてるの?」と訊かれたから、「ブラントン/ウェブスター・バンドのころのデューク・エリントンチャーリー・パーカーダイアル・セッション、Lil Uzi Vert、XXXTentacion、Lil Peep」と答えた。立ち話をしていると、『変な鳥 ヤバい鳥』という本を書いているエッセイストのワクサカソウヘイさんが偶然、通りがかったので紹介してもらった(ぼくはワクサカさんのことはぜんぜん知らなかった)。ワクサカさんとこれから打ち合わせをするというイースト・プレスの編集者であるお二人もそこに加わり、おかしな五人組が紀伊國屋の通路を立ち話をすることになった。紀伊國屋は文化のマグネティック・フィールドなので、いろいろなひとを呼び寄せるのである。名刺をいただいたが、ぼくは何者でもないのでお渡しするものがなかった。小田部がぼくを紹介するたびに「失敗しない生き方」と口にするのでもやっとした。

 小田部と「今度、飲もうよ」と言い合って別れたあと、紀伊國屋書店漫画館(別館アドホックビルのこと)でカート・ビュシークアレックス・ロスの『マーベルズ』

 

 

を買って帰った。親子丼をつくって食べ、『マーベルズ』を読んでみたけれどあまりのれなかった。迫害されるミュータントたちがあまりにもかわいそうだ。(オフパコの)中村さんのエッセイとECD特集を読むためにひさしぶりに買った「クイック・ジャパン」の最新号

 

クイック・ジャパン133

クイック・ジャパン133

 

 

をひもとくと、小田部が植本一子さんのインタヴュー記事を書いていたので頬が緩んだ。

『ビニール傘』 岸政彦

 

ビニール傘

ビニール傘

 

  フジテレビの「VS嵐」という番組を観ていたときのことだ。嵐のメンバー5人のチームに2人のゲストが参加していた。6人しかプレイできないゲームに際して、プレイヤーをくじ引きで決めていた。そのくじ引きに目が留まった。金色だか銀色の紙を貼り付けられ、強い照明を跳ね返してギラギラと光っている1メートルはあるであろう巨大な筒に、それ以上の長さの太い棒が人数分刺さっていた。なんなんだろう、あれは。テレビ画面からぼくの目を射抜き、刺した(ロラン・バルトが言う「プンクトゥム」のようなものだ)、あの不思議な見た目が忘れられない。あのくじは、だれがどのようにしてつくったのだろう? 大道具だか小道具の係? それをつくったひとはフジテレビの社員なのだろうか、それとも下請けの制作会社の社員? あるいは契約社員? アルバイト? どんなふうに思って筒にあのような装飾を施したのだろう? 彼/彼女はどんな生活をしているのだろう。月の手取りは? 何を思ってその仕事に就いたのだろう?

 近所の住宅街に奇妙な家がある。見たところ築5年から10年ほどしか経っていないであろういまふうの、建売住宅のような見ための3階建ての家だが、正面にはガラス張りの大きな戸口があって、なにかの店を以前やっていたような様子だ。しかし、その家の前を通ると異臭がするし、外見は長いこと放置されていたように汚れ、朽ちている。周囲にはゴミが散らばり、子どもが乗るような車の玩具が放置され、窓にはカーテンすら引いていない。あの家にはだれかが住んでいるのだろう? なんの店だったのだろう? わざわざ家を建て替えるかしてはじめた店は、いったいどうなってしまったのだろう? あの異臭は?

 ギラギラ光るくじと異臭を放つ奇妙な家は、ただそこにあってなにも語りはしない。

 この世界、社会に散らばり、ただそこにある文脈の剥ぎ取られたなにかの欠片――岸政彦の言葉を借りれば、「断片的なもの」「一般化も全体化もできないような人生の破片」(『断片的なものの社会学』)――からそこに関係した人間への、人生への想像力が時に掻き立てられることがある。こだまの『夫のちんぽが入らない』を読んでも思ったが、他人の人生とはどうしてこうも魅惑的で誘惑的なものなのだろう。しかし、それら断片的なものはなにも語りはしない。

 社会学者として聞き取り調査をおこなう岸の仕事がそういった誘惑とは無関係であるとは言えないだろう。初の小説集、『ビニール傘』もまた、その延長線上にあるように感じる。そこには、他者の人生を覗き見する快楽のようなものがたしかにある。そして「他者の人生を覗き見する快楽」という卑近さは、言わずもがな、小説というメディアが成り立っているその場所の地下深く、その根本に関わっている。

 「ビニール傘」にしろ「背中の月」にしろ、岸の文体は『断片的なものの社会学』とほぼ変わりなくドライで、ただそこにあるものを「ただそこにあるもの」として淡々と、客観的に描写するが、しかしその筆はからからに乾いているわけではなく、どこかほんのりとした微温のぬくもりがある。装飾的な、こう言ってよければ「詩的」な表現は数えられるほどしかない。詳述もせず、クローズアップもせず、適度に引いた視点から登場人物たちのむきだしの生がむきだしのまま読者に突き付けられる。例えばこうだ。

ベージュのニッカボッカと白いハイネックの長袖シャツ、足元は千円で買ったスニーカー。コンビニに寄るが食欲はわかずにすぐに出る。俺の生活は安いものでできている。どこかの貧しい国で大量に作られた粗悪品。派手なデザインのパッケージを開けると、かならずそこにはゴミみたいなものが入っている。俺たちは毎日、ゴミを食っている。 

 

俺たちが暮らしているのはコンビニとドンキとパチンコと一皿二貫で九十円の回転寿司でできた世界で、そういうところで俺たちは百円二百円の金をちびちびと使う。 

  装飾的な言葉がないぶん、「ビニール傘」は構成が見事にデザインされており、「背中の月」は幻惑的な時制に妙味がある。「ビニール傘」は2部構成で、コンビニの店員や日雇い労働者など複数の男性の視点が次々と切り替わっていく(一人称は「俺」で統一されている)第1部と、第1部の男性たちとどこかの場面で関わっているひとりの女性の物語の第2部とがある。妻を亡くした男の物語である「背中の月」では、早逝した妻との過去の記憶の断片の数々が、フラッシュバックとも言えないようなどろどろとはっきりしないかたちをもって男の現在に度々貫入してくる。

 「ビニール傘」で印象に残っている場面がふたつあって、ひとつはカップ麺の容器がエレベーターの中に落ちている、というところである。エレベーターにカップ麺のゴミを捨てるのは、「だらしないとか、そういう何かを超えているような気がする」「もっと何か攻撃的な感じ」だと男を考えている。もうひとつは海岸で鍵を拾う場面だ。キーホルダーもついていない「錆びついてもいない、普通の、よくある銀色の鍵」を男の恋人は拾ってポケットにしまう。エレベーターの床に打ち捨てられたカップ麺の殻。海岸に落ちている銀色の鍵。断片的ななにか。コード化不可能なプンクトゥム。アクチュアリティの硬度。岸の小説の核のようなものが、それらの場面で露わになっているような気がした。

 

新潮社から

『ラップ・イヤー・ブック』 シェイ・セラーノ/小林雅明(訳)

 

ラップ・イヤー・ブック イラスト図解 ヒップホップの歴史を変えたこの年この曲

ラップ・イヤー・ブック イラスト図解 ヒップホップの歴史を変えたこの年この曲

  • 作者: アイスT(序文),シェイ・セラーノ,アルトゥーロ・トレス,小林雅明
  • 出版社/メーカー: DU BOOKS
  • 発売日: 2017/01/06
  • メディア: 単行本
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 ぼくがラップ・ミュージックを聞きはじめたのはRIP SLYMEKICK THE CAN CREWオリコンチャートやテレビの音楽番組を賑わしていた頃で、今思えばそれは日本のラップ・ヒストリーにおける幾度目かの(とびきりポップな)黄金期だったわけだけれど、当時13歳の少年はそんなことを知る由もなかった。当然だ。なにせその頃は常に女子の目線が気になってしかたがなくて、頭髪にはギャツビーのワックスを塗りたり、身体には制汗スプレーを絶えず吹き付けていたのだから。『TOKYO CLASSIC』は近所のドン・キホーテのCDコーナーで台湾盤だかなんだかよくわからない逆輸入盤を買ったし、『magic number』はペットから木材までを商品として扱う巨大なホームセンターで買ったわけで(店舗よりも駐車場のほうが広かった)、雑木林で拾ったふにゃふにゃのエロ本でディックをビッグにしてた馬鹿な餓鬼が“業界こんなもんだラップ”や佐野元春の『ヴィジターズ』やさんぴんCAMPのことなんて知っているわけがなかった。

  当時(2002、2003年頃)、ラップはどこか遠い場所から来た違和感のある音楽などではなくじゅうぶんにポップなもので、郊外に住む中学生にとって他のJ-POPとミックスしてMDに録音し、親近感をもって聞けるものだった――“Grateful Days”のシングルなら駅前のブックスーパーいとうの100円コーナーに何枚でも売っていたのだ。

  中3になってようやく海外の音楽に興味を持ち出したぼくは、デイヴィッド・ボウイのファンを自称する同級生のHからアウトキャストの『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』を借りた(何度聞いてもわけがわかなかったし、おまけにケースを割ってしまって気まずい思いをした。その年の運動会では“Hey Ya!”が流された)。英語のU先生からはU2やマドンナやアッシャーがほとんど脈絡なく詰め込まれたMD3枚分ものミックステープを譲り受けた(そこにはラン・DMCエアロスミスの“Walk This Way”も収められていた)。最盛期を迎えていたラップ・メタルの祖としてリスペクトの眼差しを浴びていたレッド・ホット・チリ・ペッパーズは商機を逃さずにベスト盤をリリース(ぼくはバスケ部のFから「レッチリも知らないのかよ(笑)」と馬鹿にされた)。“ルーズ・ユアセルフ”は男子便所のアンセムで、DMXは『グランド・チャンプ』でスターの座に登り詰め、50セントは驚異の新人だった。誰もが『メテオラ』と『コリジョン・コース』と『チョコレート・スターフィッシュ・アンド・ザ・ホットドッグ・フレイヴァード・ウォーター』(『誰が音楽をタダにした?』でひたすら馬鹿にされていたリンプ・ビズキットだ)をMDプレーヤーで聞いていた。MP3の侵食は既にはじまっており、陸上部の先輩たちはCD-Rを焼いて交換しあっていた。 

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  『ラップ・イヤー・ブック』は、読むひとによってはそんなつまらなくてイカ臭い思い出を語らせてしまう本だ。なぜなら、ラップ史学者が常に取り零してしまう固有名詞をシェイ・セラーノは拾い上げているから。1979年から2014年までの35年間で1年に1曲を選ぶという特殊な構成によってありがちなラップ史の語り口を巧妙に避け、『ラップ・イヤー・ブック』は凡百のラップ・ヒストリー本のオルタナティヴたりえている。まだまだディスコやファンクといった音楽から未分化でしっかりと固まりきっていない半熟卵のような黎明期から、ラップ・ミュージックが再びドロドロと液状化していく(主にカニエ・ウェストやヤング・サグの手によって)35年後の現在までを1年区切りで均等に、同じ紙幅で語っていく――実に画期的で、ユニークなラップ史の語りかたを『ラップ・イヤー・ブック』は提示してみせる。もし『ラップ・イヤー・ブック』がなかったとしたら、誰がパフ・ダディのソロ・アルバムやマイク・ジョーンズの存在を思い出せただろう(2017年の今、パフ・ダディを聞く必要があるのかどうか、ぼくは知らない)?

 セラーノの語り口は独特だ。意味があるのないのかよくわからない大量の注釈をわざわざ付し(映画とドラマとバスケットボールネタが多い)、ラップへの愛憎入り乱れる捻れたユーモアでもって大いに無駄口を叩いている。だが、クリティックとしての視線は鋭い。例えば、ジェイ・Zの“Takeover”とナズの“Ether”の2曲を例外的に選んだ2001年の章で、2人のビーフとはアート(ナズ)と成功(ジェイ・Z)の対立だった、と喝破してみせる。2000年代以降ラップ・シーンのなかで存在感が増していく(遂には中心地となる)サウスを1991年にゲトー・ボーイズを選ぶことによって予見させる構成力も巧みと言うほかない。また、批評家としてよりもラップ・ファンとして並々ならぬ思い入れをもって語られるビギー、そしてトゥパックの1990年代半ばの章は感動的だし、メキシコ系である自身の出自からアフリカ系アメリカ人へ客観的な視線を向ける1989年の“Fight the Power”の章も白眉だ。ATCQの“Bonita Applebum”(1990年)とマックルモアの“Same Love”(2012年)はラップ・ミュージック、ひいてはヒップホップ・カルチャーに根付いている悪名高いセクシズムや女性蔑視、ゲイ差別についての章で、こういった議論はなかなか日本語で読める機会もすくない。安っぽい言葉をつかえば、『ラップ・イヤー・ブック』はラップ史に対してミクロとマクロ、双方からの視座を設けている稀有な書であろう。

 また、アルトゥーロ・トレスのイラストはテキストにイメージを与えるだけのはたらきを超えて本をゴージャスにしているし、ぱらぱらと捲っているだけでたのしく、時には笑える(ドレイクがろくろを回している絵なんて最高だ)。すべての章に他のライターからの反論として別の曲が挙げられているところも実によくて、これも歴史を複眼的な視点から見るという効果をうまくもたらしている。ぼくのように1900年代から2000年代までのラップ・ミュージックにまつわるくだらない思い出を持っているひとも、あるいはケンドリック・ラマーやヤング・サグに夢中になっている若者も、『ラップ・イヤー・ブック』はラップ・ファンなら全世代が必読の本だ。ただ、読んだだけでその曲のすべてがわかるわけではないので、Geniusのアプリ片手にリリックを丁寧に読み込んでいくことで本のおもしろみはぐっと増すことを最後に書き添えておく(例えばカニエ・ウェストの“Gold Digger”は当然、最後のヴァースの見事な反転を知っていてこそ、あの曲の重要性が理解できる)。 

 

DU BOOKSから