プライベート・セッション

shit_pieのセラピーブログ。

日記

  • 毎日、昼はセブンイレブンで買ったパンをひとつ食べ、夜はイオン系の格安スーパーで買った簡便で安い食べ物をくらい、情けない生活をしていることがかなしい。わたしは立派な貧困層である
  • 資本主義的に感情もそのひとの資本だと考えると、それもぐしゃぐしゃになっていて、だいたいいつも底を尽きかけている。ちょろちょろと湧いてきているものをほんの少しすくっては、ばっとそこらへんに撒いている感じ
  • 加速主義、新反動主義的にいえば、「出て行く」、「イグジットする」、「立ち去る」ことを積極的に考えないといけない。加速主義と新反動主義の言葉をおもしろおかしくあつかうのは、思想信条的にはばかられるけれど……
  • この生活から、この毎日から、この日々から、この労働から、この社会から、いまのありかたから、あなたたちとわたしたちから、いまの思いやじぶん自身から立ち去ること
  • だが、どこへ?
  • ここ数年、わたしはスピリチュアリズムというものを徹底的に避けてきたつもりで、とにかくスピっているもの、こと、ひとがきらいだった。ここでいう「スピリチュアリズム」とは、メジャーな宗教すべてもふくんでいる
  • 寺社仏閣や霊的なものへの敬意を捨て、自然や生命を冷めた目で見て、アニミズム的な考えもほとんど捨てた。初詣のような習慣もなんとなくやりすごした。虫も平気で殺すようになった
  • スピることを避けて、もっと唯物的にものごとを考えるようにしたのだ
  • けれども、どんどん心が苦しくなってくるにつれ、積極的にスピったほうがいいことに最近気づいた。そのほうが楽だからである
  • ここ数年は、安っぽい新興宗教にはまる者から熱心なキリスト教徒のラッパーまで、どうしてみんなそんなにスピっているのかが不思議でならなかった。疑いなくひとつのものを信じることは理解できないし、それは危険なことだともおもっていた
  • だが、その気持ちが突然わかってしまった。カニエ ・ウェストの苦しみがわかってしまったのである
  • つまり、みんな生きるのがつらいのだ
  • ちなみにわたしは「スピる」という言葉を、ちょっとした信仰心をもつ、くらいの意味でいっている。「一寸の虫にも五分の魂」をもう一度信じてみる、くらいの意味あいである
  • というわけで、あたまがおかしいなりに一気に飛躍してみると、わたしは仏教を学んで出家したい
  • どうだ。やばいだろう。わはは
  • 感情のうごめき、いまの生活、このマテリアルワールドから立ち去ること
  • とりあえずかたちから入るなら、高野山へ行ってみたいし、熊野古道へ行ってみたいし、屋久島へ行ってみたいし、四国のお遍路もしてみたい。あんまり関係ないものもまざっているな。まあいいや
  • 超ありがちな感じだ
  • とはいえ、わたしはまだわたしのなかの唯物論者を追い出してはいなくて
  • とにかくひとりになって、いろいろと考えたいんです

日記

  • 風邪を引いている。咳が出はじめたのが先週の金曜日からなので、もう10日目だ。
  • 最悪のときは過ぎ去ったとは思うけど、なんだか耳が遠かったり、鼻が詰まっていたり、咳が出たり(症状としてはこれが大きい)、身体が熱っぽかったり、頭がぼうっとしていたりと、いつも通りのコンディションではない。
  • しかし、スタンダードな、ベーシックな体調やコンディションってどんな感じなんだろう。「あ〜、今日は体調がいいな〜!」と思えたことが、いつからか、まったくない。あなたはありますか?
  • 中学三年生の頃、「夏風邪は、治りにくい」というフレーズが微妙に流行ったのを突然思い出した。
  • 流行らせたのは、ナカシ(中島)か真音(「まのん」と読む。下の名前ね)だったと思う。特に大した意味はなく、「夏風邪は(必ずここで一回切る。リズムやテンポが大事)、治りにくい」と、脈絡なく言うのだ。
  • 私たちはよく休み時間中、男子トイレの入り口の洗面台があるところに溜まっていた。5分とか10分とかの限られた休み時間に、そこでどうでもいい話しをしている最中、突然口を挟んで「でも夏風邪は、治りにくい」なんて誰かが言い出すのだ。
  • 大体、言い出すのはナカシか真音で、後半の「治りにくい」は2、3人がユニゾンで言う。
  • それにはまったく意味がなかった。誰かが風邪を引いているわけでもなければ、季節も夏ですらなかった気がする(大体、夏の盛りの時期は、学校は休みである)。
  • そして、その意味のなさや意味のわからなさに、私たちはひとしきり腹を抱えて笑ったのだった。
  • 意味のない言葉を誰かに投げかけたり、それを受け取ったり、あるいは投げ返したりするのはとても重要なことだと思う。限定的な関係性やその場限りでしか有効でない、なんの意味もないコミュニケーションにこそ、ある意味では意味があるのだ。
  • そういう意味のないコミュニケーションを、私たちは、いや、私は、いつからしなくなってしまったのか。
  • 何の意味もない言葉や変な動きでおどけたり、笑ったりしたいな。

広末涼子 - ARIGATO! (1997年) by 天野龍太郎

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 庵野秀明が「新人」として実写映画監督デビューを果たした『ラブ&ポップ』で、コギャルではないごく普通の女子高生たち4人が、中年の、サラリーマン風の男と“大スキ!”を歌っている。1997年の夏、渋谷の街のカラオケで。「写真いっぱい撮ったね/『今すぐ見たいよぉ』」。主人公の裕美(三輪明日美)は、刹那的に過ごしている日々の断片を切り取っておくために、小遣いを貯めてコンパクト・カメラ(もちろん当時はフィルム)を買ったのだった(映画のクライマックスで、浅野忠信演じる狂った男、キャプテンEOとラブホテルへと向かう道中でも裕美は、パシャパシャと無邪気にシャッターを切っている)。カラオケがひとしきり盛り上がったあと、男はうやうやしい手つきで4人それぞれにマスカット1粒を口に含ませ、それを吐き出させ、回収し、丁寧に容器に保存する。12万円を彼女たちに手渡し、男は雑踏へと消えていく。「今日ね/すごくね/むちゃくちゃ楽しかった/ありがと。ダーリン」。

 岡本真夜が書いた“大スキ!”は、スクラッチブレイクビーツのイントロダクションから、ソウル風のホーンがきまり、オルガンとアコギがレゲエのビートを刻んでいく――キメラ的なハイブリッド感が絶妙な、まごうことなきJ-POPソングだ。あるいは、竹内まりやの手になるデビュー・シングルの“MajiでKoiする5秒前”もある意味ハイブリッドで、というのもその曲では、モータウン(アメリカ北部)の“恋はあせらず”のビートを借りながら、スタックス(同南部)のソウル・チルドレンの“I Don't Know What This World Is Coming To”がサンプリングされている。

 そのハイブリッド感覚とは、「アフリカ系アメリカ人の音楽なら(北だろうと南だろうと)同じだろう」という軽薄で隙だらけの予断からくるもので、あるいは、あらゆる文脈を断ち切ってしまう、超日本的なポストモダン感覚と言い換えてもいい。とはいえ、しかし、この2曲から聴取すべき厳然たる事実はもっともっと表層的なもので、それはつまり、小沢健二の『LIFE』(1994年)や“痛快ウキウキ通り”(1995年)のサウンドが、その後4、5年はJ-POPシーンの良識的な作家たちにかなり深刻なトラウマを植えつけたのだ、ということだろう。

 その「小沢健二のトラウマ」に悩まされながらも独自の色を作品に落とし込んでいるのは、全編に渡って編曲を手がけている藤井丈司である。『ARIGATO!』は彼の仕事を楽しむアルバムでもある。原由子や元ピチカート・ファイヴの高浪敬(慶)太郎といったアルチザンたちが書いた楽曲を、ある曲ではオーセンティックに、またある曲ではR&B風に、さらにはテクノポップ風に調理している。

 小沢健二は「王子様」としてオリーブ少女たちのカルトな信仰を集めた一方で、広末涼子のピュアでウェルメイドなアイドル・ソングは援交少女たちのサウンドトラックとされた(すくなくとも、『ラブ&ポップ』においては)。少女は片思いの相手をデートに誘い、「さり気なく腕をからめて/公園通りを歩く」(“MajiでKoiする5秒前”)。ここでの小沢健二の歌詞とのちがいは、主語の性別くらいのものだろう。だがそのちがいは、少女たちにとってはおそらく大きいはずだ。たとえ他人が書いたリリックを偶像、広末が歌わされたものであったとしても。2000年代のリアルを担ったのが浜崎あゆみだったとして、では、2010年代は? 2016年、JKリフレ嬢たちのサウンドトラックはどんなものだろう。彼女たちにとっての広末涼子はいま、誰なのだろう。 (20 Feb. 2016)

Mr.Children - 深海 (1996年) / BOLERO (1997年) by 方便凌 (BOOKOFF Zombies pt. 2)

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 信藤三雄がアートワークをデザインしたデビュー・アルバムだとか、ファクトリーのバンド、レイルウェイ・チルドレンに由来したバンド名などから「ミスチルはもともと渋谷系だった」という話があるが、実際、若き日の桜井和寿スタイル・カウンシルが好きだったものの「ああいう音楽は日本ではウケない」と感じていた(その後、フリッパーズ・ギターの登場に衝撃を受ける)。まだ国民的スターになる以前に、『CDでーた』誌の企画でL⇔R黒沢健一とともに参加した「CD100選」では、黒沢ほどマニアックではないものの、洋楽のインディものもそこそこチョイスしていたという(残念ながら現物確認できず。情報お持ちの方、ご連絡ください)。

 だが、「ミスチル渋谷系だった」ことよりも、「ミスチル渋谷系をやめた」ことの方が我々に多くの示唆を与えてくれるのではないか、と僕は思う。僕ら(サブカル)は、渡辺満里奈小沢健二ではなく名倉潤を選んだ事実を深く受け止めなければならない。「スタカンは日本人にはウケない」という洞察はあまりに正しく、ミスチルは初期の甘酸っぱくてオシャレなラブ・ソングではなく“innocent world”に顕著な疲弊した現代人のための精神論へとシフトしていくことで、より大きな規模の支持を獲得していくこととなる。「L⇔Rは売れなかったけれどミスチルは売れた」というのはそういう舵取りができたかどうかということでもある。

 そしてバンドが巨大化していく臨界点に発表されたのが『深海』と『BOLERO』の二枚だ。わずかなスパンでリリースされた両作はもともと「青盤」と「赤盤」のダブルアルバムとして発表される予定だったこともあり、実質的な双生児である。結果的にはそれぞれ日本の歴代アルバム売上ランキングの31位(274.5万枚)と14位(328.3万枚)という記録的なセールスをおさめた。“Tomorrow never knows”、“シーソーゲーム~勇敢な恋の歌~”、“名もなき詩”etc.……。「ゾーンに入っていた」としか思えないほどの傑作を連発したシングル群もさることながら、当時のUSオルタナに目配せした、乾いたRAWなロックサウンドは時流を捉えている(その分、94年リリースの“Tomorrow never knows”のサウンドはアルバムのなかで浮いてしまっている)。「失くす物など何もない/とは言え我が身は可愛くて/空虚な樹海を彷徨うから/今じゃ死にゆくことにさえ憧れるのさ」(“深海")という歌詞を桜井がどれだけガチな気持ちで歌っていたのかはわからない(戦略として渋谷系をやめるぐらいの男なのだから)が、「95年以降」という時代の追い風を受けていたことは想像に難くない。

 しかし本作中で最も気を吐いているのは、刺激的なロック・サウンドにポップなカラーを落とし込んでいる部分だろう。“ありふれたLove Story ~男女問題はいつも面倒だ~”のブリッジにおける転調や“ハロー・グッドバイ”を彷彿とさせるコーラスの上昇音階、または“タイムマシーンに乗って”におけるホーン・セクション、リバースしたクラッシュ・シンバル、スライド・ギターが三位一体となった中間部を見よ(聴け)。『マジカル・ミステリー・ツアー』期ビートルズへの強い忠誠心があらわれているこれらのアレンジメントは、小林武史の辣腕がなければ実現しえなかった。ビートルズ的イディオムに関して小林は、サザンオールスターズの諸作品などでもすでにその高度な技術を発揮させていたが、自身もメンバーの一員であるMy Little Loverにおいてはさほど影響の片鱗を見せなかったのは〈ビートルズジョージ・マーティン=4ピースのボーイズ・バンドとプロデューサーという関係の中でそれをやる〉ことへの拘りがあったのだろうか? なんにせよ(ブリットポップ以降の)1990年代後半から2000年代前半にはPUFFYタンポポなど、ビートリー・サウンドを彷彿とさせるJ-POPはそれなりに登場したものの、記号的というか、わかりやすい引用に留まるものがほとんどであることに比べると、小林の仕事は実に通好みのソレであり、「マスに訴求しつつコアに追求する」というロック・バンドとしては理想的な姿勢で確かな成果を残したといえよう。

 『深海』、『BOLERO』から20年経ったいま、若者はミスチルを聴かなくなったし、ヒット・チャートからはビートルズの遺伝子を受け継ぐ音楽は消えた。この20年という歳月はいったい何だったのだろうか? 彼らがそぐわなくなってしまう時代とは何か、ということである。個人的には、桜井は脳梗塞で倒れて戻ってきたあと、環境活動に取り組むのではなく、もう一度不倫をするべきだったと思っている。そして「♪僕の自意識にもドロップキック」くらいのことを歌っていたらまた何かが始まっていたかもしれない(し、終わっていたかもしれない)。 (20 Feb. 2016)

オリジナル・ラブ - L (1998年) by 小鉄 (BOOKOFF Zombies pt. 1)

 以下のテクストは、ぼくのタンブラー・ブログに掲載していた「2016年のリスナーのための1990年代J-POPディスク・ガイド――BOOKOFF Zombies and Survivors」からの転載です。全三回掲載した通称(というか、自称)「ブックオフゾンビーズ」は、小鉄と方便凌とぼく、天野龍太郎の三人がそれぞれ90年代のJ-POPアルバムをひとつずつ論じた、9つのテクストから成っていました。これがなかなかおもしろいので、このままにしておくのはもったいないと思い、このはてなブログに転載した次第です。ぼくが暇なときにひとつずつ、ゆっくりとしたペースで順次転載していく予定。……もしかしたら「ボーナス・トラック」もつくかも?

 

日本中のBOOKOFF Zombiesたちへ

 最近、思うところあって映画『ラブ&ポップ』を観た。庵野秀明が初めて監督した実写映画だ。ごく普通の女子高生が運命的な出会いを果たしたトパーズの指輪を「その日のうちに」手に入れるために(なぜなら「明日」ではその指輪が欲しいのかどうかわからなくなってしまうから)援助交際を重ねる、というのがあらすじで、家庭用の、当時では珍しかったデジタルビデオカメラの機動力を駆使しつつ(ときにカメラは俳優の腕や頭部に取り付けられた)、アダルトビデオ(言わずもがなハメ撮り)の影響を多分に受けながら撮られたこの映画は、1990年代の東京を舞台とした似非ヌーヴェル・ヴァーグのような空回り気味の実験精神とみずみずしさを湛えたストレンジな作品となっている。

 『ラブ&ポップ』が映す1997年の渋谷の街は、2016年の渋谷とほとんど同じに見える(マークシティが未だ建造中だったりと、多少のちがいはもちろんあるものの)。少女たちが持っているものはスマホではなくポケベルだが、それとLINEにどれほどのちがいがあるのだろうか。渋谷の援交少女は、秋葉原のJKリフレ嬢になった。ただそれだけだ。80年代は遠くなりにけり。だが、90年代は、いまも街とそこにいる人々を覆っている。『ラブ&ポップ』を観て、ぼくはそんなことを思った。そういえば、もう何年も前から様々なジャンルで90sリバイバルは叫ばれている。だから、2010年代が1990年代を引きずっているのではなく、90年代が回帰してきているのだろう。

 いまとちがって、幸か不幸か、90年代の日本は音楽とともにあった――「J-POP」と呼ばれる音楽とともに。そんな時代の音楽は、現在、インターネット上ではそれほど聞けない代わり、ブックオフという公共スペースにアーカイブされていて、280円とか500円とかでアクセスすることができる。時代の息吹を吸い込んだままの遺物=CDが山のように眠っている280/500円棚という魔境。その中で未だ不毛なディグを続けている友人たちに、いま聞くべき90年代のJ-POP作品とはどれかを訊いてみたいと思った。そこで、90年代を幼年期、そして少年期として過ごしたぼくとほぼ同世代の小鉄、方便凌の二人に、「2016年のリスナーのための1990年代J-POPディスク・ガイド」をつくってみよう、と声をかけてみた。その結果は以下の通り。ちなみに、この「ブックオフゾンビーズ」は全3回を予定している。最後まで楽しんでいただければ幸いだ。(以上、天野)

 

オリジナル・ラブ - L (1998) by 小鉄

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 KOHHは首にマルセル・デュシャンモナリザのタトゥーを彫っている。いつか自社ビルを建てたい、ゴッホやミロのような偉大な芸術家になりたい、という自らの上昇志向をあからさまに表明した楽曲“Living Legend”のビデオにもデュシャンの作品が映りこんでいる。

 小西康陽もまたデュシャンをリスペクトするエッセイを書いている。が、その内容はというと、30歳を間近になってなお親に仕送りを貰っていた小西康陽が、デュシャンは50歳になっても仕送りしてもらっていたという話を聞いて気が楽になった……というもの。

 かように、モラトリアムな価値観(と、バブル崩壊の影響が来るのが遅かった90年代の音楽業界)が支えていた渋谷系。そんな中でオリジナル・ラブ、もとい田島貴男だけは最初からオトナの風格を漂わせていた。初期のオリジナル・ラブピチカート・ファイヴ在籍時代の田島貴男は、現在の彼を知っているからこそまだ若くフレッシュに見えるが、それでもステージに立つ姿はすでに精悍で堂々としている。

 そんな田島貴男だからこそ、渋谷系の面々で、誰よりもいち早く、青春期の総決算か、あるいはイニシエーションとでも言うべき、内省的で鬱々しいモードに入った。それがこの『L』だ。

 前々作『Desire』でバンドからソロ・プロジェクトとなったオリジナル・ラブは、前作『ELEVEN GRAFFITI』で打ち込みを導入し、そしてこの『L』は更にそれを発展させた内容となっている。

 エイフェックス・ツイン“4”をもろに意識した小曲で始まり、実質オープニングナンバーである“水の音楽”は、タブラとストリングスとピアノが、湧き、流れ、渇いていく「水の音」そのものを演奏するかのような美麗なアレンジで、かつドラムンベースをここまで血肉化して取り込んだ日本語によるポップスはこの曲だけでは?と思わせる逞しいビートが素晴らしい。またシングル・カットされた“宝島”と“インソムニア”はヒップホップ・ビートにジャンクなシンセとギターという前作同様ベックの影響を感じさせるユニークなアレンジで、“羽毛とピストル”はボイス・パーカッション+アコギというシンプルなアレンジながら、当時傑作シングルを連発し翌年にはあの『ヴードゥー』をリリースするディアンジェロを思わせる濃密なセックス・ソング。

 と、サウンドは充実しながらも、全体に流れるムードは暗く、重く、そして虚しく、儚い。“ハニーフラッシュ”では援助交際の情事が描かれるが、同時期の、同世代男性アーティストによる援助交際をテーマにした楽曲(ECD“ロンリーガール”、岡村靖幸“ハレンチ”、スカパラ“Dear My Sister”など)がいずれも説教臭かったり、あるいはただ困惑しているだけの状態と比べると、ここで田島が描く「彼女ら」はひたすら虚無的で淡々としている。

 ごく普通の少女は「パートタイムの恋のハニーフラッシュ」で「ベッドタウンいちばんのプレイガール」に変身する。「動く遊歩道の上で手を握る」「ロンサムタウンは何度もかなしい魔法を信じるのさ」というラインの、虚無が匂ってくるような描写。

 これについて田島は、海外旅行から帰ってきた後、渋谷を通りがかった際、印象的だったのが「コギャル」たちの様子であったと語っている。かつて、オリジナル・ラヴ渋谷系とカテゴライズされた際には真っ先にそれを否定していた田島貴男は、そのブームから数年後の渋谷の光景に、いま歌うべきリアルを見出した、と言えよう。

 “神々のチェス”はその荘厳なタイトル通り、恋愛も人生も、自分自身の存在も、しょせん神が戯れに遊ぶチェスの駒でしかなく、その歴史が何百年と繰り返されるだけ……という諦観が語られる。後にも先にも田島貴男がここまで絶望的で遠大な世界観を語っているのはこのアルバムだけだ。

 ほんの少しだけ背伸びした、等身大の日常を切り取り、そこにさりげない輝きを見出すのが渋谷系の美学であった。『L』とは時代の曲がり角を意味している。内省的で、かつ一気に「神」にまで嘆きを飛躍するエヴァンゲリオン的センチメンタル。渋谷系で最もオトナだった田島貴男が時代の曲がり角で一瞬だけ、「渋谷系」から「セカイ系」へと転じたその極点をこのアルバムは描いている(先述の通り、そもそもこの人はずっと渋谷系とカテゴライズされることをずっと否定しているのだが)。

 なお、これ以降のアルバムについては、『L』の楽曲を更に激しく実験的にアレンジしたスタジオ・ライブやリミックス小西康陽も参加)したミニアルバム『XL』を挟み、田島は奇才ターンテーブル奏者L?K?Oとの出会い、更なる問題作『ビッグクランチ!』をリリースする。恐らく「接吻」のイメージから最も遠い、ミクスチャーからバラードまであらゆる音をグチャグチャにコラージュしてかつエネルギッシュなこの怪作を経て、田島貴男は現在に至るまでまた巷間によく知られる、良質なポップス職人として活動している。この時期を境に、田島貴男の顔は関根勤よりも藤岡弘、に似ているようになり、その存在感も声もよりダイナミックな進化を遂げる。一回引いてダッシュするチョロQの原理。鬱をぶっとばせ!!!!! (20 Feb. 2016)

Buy Nowers Club Vol. 7 | at dues 新宿, Dec. 27 2017

John Maus - Screen Memories

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2011年の傑作We Must Become the Pitiless Censors of Ourselvesから、気づけば6年もの月日が。いわずもがなアリエル・ピンクの親しき友人で、政治哲学者で、皮肉屋で(ピッチフォークのインタヴューで炎上)、自称「極左極左極左」主義者。自作のシンセサイザーで奏でられるのは、ダークでドリーミーなシンセポップ。なのにどうしてこうも気味の悪い響きをしているのか、どうしてこうもアウトサイダー感が滲み出てしまうのか。ジョン・マウスの音楽は、ジェイムズ・フェラーロと田島ハルコとハイプ・ウィリアムズが共演しているかのようだし、イアン・カーティスが降霊した人生のようにも聞こえる。彼はライヴで、激しく頭を振りながら低い声で唸る。「オー、イェー!」。だがそれはちっともたのしそうには聞こえない。むしろ苦しみもがいているかのようだ。

 

Yves Tumor - Experiencing the Deposit of Faith

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イヴ・ツーマー(腫瘍)ことショーン・ボウイ。PANからリリースした2016年のSerpent Music(蛇の音楽)で脚光を浴びたクィア。そのファッションにはアルカを重ねずにはいられないし、事実、Hood by Airのショウへの参加経験も。その音楽はサンプリングの快楽主義に亀裂を入れる、いびつな脱構築ヒプナゴジック・コンクリート・ミュージックとでも呼ぶべきもの。あきらかにヴェイパーウェイヴの影響下にある霞がかったサウンドはビルボード・ホット100を独占するトラップやR&Bを茶化しているようにも聞こえる。ひっそりとリリースされたこの謎めいたデータ・コンピレーション(WAVとAIFFとが混在する雑さ)はアルカやガイカよりもザ・ケアテイカーやグルーパーと比較されるべき? そんな本作をTMTは2017年のフェイヴァリット第2位に選出。最近は坂本龍一のリミックス・アルバムに参加というニュースも。作品は否応なしに批評的だが、ライヴはフィジカル。

 

Downtown Boys – Cost of Living

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うまいとは言いがたいサックスがシンプルなフレーズを吹き、ディストーション・ギターががしゃがしゃと鳴り、ヴィクトリア・ルイズがスペイン語訛りで叫ぶ「壁は......ただの壁だ!」「ファック・イット!」。ダウンタウン・ボーイズは怒っている。なぜかって? 誰もこの理不尽に対して怒らないからだ。Sub Popとサインした極左バンド、ダウンタウン・ボーイズの新作のタイトルは“生活費”(ちなみに、前作のタイトルは“完全なる共産主義”)。言うならばこれはケン・ローチの『わたしは、ダニエル・ブレイク』やダルデンヌ兄弟の映画のパンク・ロック・ヴァージョンだ。いまもっともザ・クラッシュ、そしてジョー・ストラマーに近いのは彼女/彼らのはず。狂乱のパンク・ダンス・パーティーにこそ粗野なパワーが宿るのだ、醜悪な社会政治秩序や不均衡な自由主義を打ち壊すのだとダウンタウン・ボーイズは言う。フガジのガイ・ピッチオットがプロデュース。