プライベート・セッション

shit_pieのセラピーブログ。

日記

  • 月曜日。家に帰るとかならずテレビがついているのだが、その日は本田翼が出ているフジテレビのドラマが映っていた。本田翼、かわいいななどと思って横目で見ていると、どうやら予想される犯罪を事前に防ぐべく捜査する刑事ドラマらしい。共謀罪の時代にふさわしい内容というか、気味が悪くなってしまった。
  • 先の死刑執行からというもの、メディアでもツイッターでもオウムについての議論やネタが盛んだ。新聞記事で印象に残っているのが、元障害者施設職員の言葉で、いわく、「身体介助はできるが、障害者たちの魂の救済はできないのでオウムに入信した」とのことだ。本質的すぎて、言葉もない。誠実なひとなんだろうと思った。
  • しかし、だからといって宗教や、ましてやカルトが心を、魂を救うのか。もちろん、それで救われるひともいるだろう。じぶんは超近代主義者なので、魂も救済も信じちゃいないが、セカイ系的な再呪術化はまっぴらごめんである。なにが生の意味をもたらしてくれるのか、あるいは生の意味とはなにかと思い悩むより、そんなものなどないと開きなおった消極的なニヒリズムのほうがよっぽどましだし、あえてなにを信じているのかを明言するなら、「生の意味などない」ということだ。
  • ほかにも、とある作家(名前は失念した)が「オウム事件は宗教による犯罪だったことを忘れてはならない。戦後日本社会は宗教というものを社会のなかにうまく位置づけられなかったからオウム事件は起こったのだ」と書いていて、それはそのとおりだと思った。
  • ロクサーヌ・ゲイの『バッド・フェミニスト』をやっと読み終えた。一部で話題の翻訳も、まあ、ほめられたものではない……。ほんとうに機械翻訳なのではないかという部分も多く、なのに比較的スムーズに読めるところもある(なぜそんなことになっているのかという理由について推測してはいるが、ここには書かない)。
  • 学生時代、デリダのテクスト(しかも英訳されたもの。たしか『散種』だったと思う)の和訳を課され、ひいひい言いながら訳した自分の訳文を思い出した。あれはひどかった。藤本先生も、ぼくを含めた生徒たちの訳文をひどいと切り捨てて、以降の授業ではなかったことにしていた。『バッド・フェミニスト』の訳は、あれに似ている。
  • とはいえ、おそろしい悪訳や逐語訳、翻訳調には慣れっこなので、いらいらしはするが、読むのにさほど苦労したわけではない。こんな原文なんだろうと推測しながら読めばいいだけで……。それはそれで、かなり面倒だが。
  • 内容に関しては、とにかく批判や不平不満を述べているばかりだというところが気になった。「男性主義的だからダメ」、「異性愛主義的だからダメ」、「白人主義的だからダメ」、「あれはダメ」、「これはダメ」といった調子で……。しかも、あのすばらしい『そして夜は明ける』ですら、ゲイは気に入らないという。じゃあ、彼女が認める作品ってどんなものなんだろう。『フルートベール駅で』のように、『バッド・フェミニスト』でほめられている作品もいくつかはあるものの。まあ、たしかに『フルートベール駅で』はすばらしい。
  • ブラック・フェミニストたるゲイらしいし、正当で当然だといえばそうなのだが、読んでいるあいだじゅうずっと愚痴を聞かされている気分にはなる。そのあたりは非常にインテリ的で、スノッブ的で、おこがましくも、自分に似ているような気もする。あらゆる政治的な事柄やポップ・カルチャーに対して悪口を言うという点で。ほんとうに失礼なはなしだ。
  • それはさておき、ゲイのそういったフェミニスト的な断定や批判には迷いがある。ポップ・カルチャーの悪しき側面をも愛しているし、フェミニズムのよくない部分にも気づいているのが彼女の最大のおもしろさで、「バッド・フェミニスト」たるゆえんだろう。後半、「私たちみんなの中のレイシズム」や「バッド・フェミニスト:テイク1」(の後半はいまいちだが)、「同2」などは読んでいて大変共感できるし、ここまでフェミニストとしての迷いをありのままにさらけだすロクサーヌ・ゲイという人物がいかに稀有な存在であるのかを感じられるテクストになっている。彼女のようなひとは、なかなかいないだろう。
  • 再び本それ自体の感想に戻ると、悪訳よりも、あとがきで「原書の章をいくつか削った」と明かされていることがものすごく気になった。じゃあ、この本は不完全じゃないかと。どういった事情かはわからないが、海外の映画の過激なシーンが削られて公開されることとおなじ違和感をおぼえた。一冊の本はそれすなわち作品であるからにして、削ってはダメだろう。例えば、1、2曲聞けないアルバムというのを考えてみてほしい(そういうの、Apple Musicによくあるな……)。
  • さらに、訳注が異様に少ないことにも疑問が残る。たとえば、1章がまるまる割かれているタイラー・ペリーの監督作などはほとんど日本で紹介されていないのにもかかわらず、訳注でそれを補足しようともしていない。それ以外にも多くの時事ネタにも解説や注釈がなく、もともと知っているか、ひとつずつ調べないとゲイがなにを言わんとしているのかがわからないありさまだ。これは、この本やここに書かれたメッセージを伝えようとするときに、重大な欠陥になってしまっている。じつにもったいない。
  • それはさておき、『バッド・フェミニスト』を読んで、じぶんは「バッド・リベラリスト」を自称したいとふと思った。経済的には新自由主義はごめんだが……。
  • 中国や韓国の対応を批判すれば「嫌韓」「嫌中」「ネトウヨ」のレッテルが貼られ、安倍政権の政策や成果を持ち上げれば左派からは敵とみなされる。そんなのはごめんだ。じぶんはバッド・リベラリストでいたい。それは、いろいろな意味においてである。
  • じぶんには誠実さも知識もないし、ひとつの思想に忠実であろうと思ったこともない。完璧さなどはなににおいてもないし、良心もない。あるのは後ろ暗い下心だけ。なにをやっても「バッド」だ。でも、それはそれで力になるのだ、とロクサーヌ・ゲイは言っているかのように思えたのだ。
  • フェミニズムといえば、先日、HOMMヨのニイマリコさんとMs.Machineの彩衣ちゃん、マコちゃんたちと飲んだときに、「いまのフェミニズムはダメだ」と言ってしまったことが引っ掛かっている。それは、ツイッターなどで「オスガキ」などという言葉をつかってミサンドリーを発散しているだけの、どうしようもない「フェミニスト」ともいえないような人々の姿勢に対して言ったのだが、後悔している。ニイさんに「それはちがう」とたしなめられ、マコちゃんが共感してくれたことも印象に残っている。
  • 『バッド・フェミニスト』では過激で教条主義的なフェミニストは「本質主義フェミニスト」と呼ばれているが、それならまだしも、上記のようなひとたちはフェミニズム本質主義とはほど遠いなにかである。ガス抜きのようにミサンドリーを発散しているだけの人々は、フェミニストでもなんでもない。それは、ミソジニーについても同様で、醜悪だ。
  • 土曜日。Hank Wood and the Hammerheadsのライブを新宿のANTIKNOCKで見た。ANTIKNOCKはいかにもパンクのハコという感じで、それがよかった。ハンク・ウッズはといえば、待望の初来日だ。韓国のSlantも出ていたし、Struggle for Prideも出ていたし、すごくよかった。
  • SFPは、演奏前から、そして演奏がはじまってからも今里さんはフロアでコロナを飲みながら友人と話したりステージを見つめたりしていて、それもよかった。前回の反省から、Amazonで買った耳栓をしてライブに臨んだのだが、やっぱり耳栓をしているとよくわからないなと思った。
  • ハンク・ウッズは……最高だった。サードでリズム・アンド・ブルース色を強めているのがぼくはツボなのだが、それもしっかりとライブで感じられた。つまり、踊れるということ。彼らはまるで63年とか64年とか65年とかの英国のロック・バンド――ゼムとかスモール・フェイセズのようなバンドだということで、そんなバンドを目の前で見られるのだからほんとうに最高だと思う。半裸で「ファック!」「ベイビー!」とわめき散らすヘンリーは、ヒーローだった。
  • あの特徴的な歪んだオルガンの音は、ふつうにNord Electroから出ていたことを知って、それはちょっとおもしろかったけど。
  • 日曜日。Amazonプライム・ビデオでちょっと『seial experints lain』を見た。おもしろい。じつに90年代的だが、そうとも言いきれないアクチュアリティを感じる。
  • そういえば、channel ORANGEがちょうど6年前の作品だとのこと。いやはや……。nostalgia, ULTRA.で彼のことをはじめて知って、“Thinkin Bout You”や“Pyramids”といったシングル(特に後者には驚かされた)でアルバムへの期待がものすごく高まっていたことをおぼえている。たしか、吉祥寺のタワーへCDを買いにいったはず。アルバムは最高だったけれど、どこかで保守的なところもあるように感じていた。もっといまの、この刹那の音楽を聞きたいと思った。4年後のBlondeでぶっとばされることになるのだが。
  • フランク・オーシャンのEndlessのCD+DVDがどこかへいってしまって、見当たらず、泣きそうになっている。
  • そういえば、最近のフランキーはどうしているのか。ラジオもやらないし、新曲も発表していない。また沈黙してしまった。

日記

  • 今週はこれといった新譜がないななんて思っていたら、フューチャーのミックステープとミーク・ミルのEPが出ていた。まだ聞いていない。
  • アイラヴマコーネンの新しいEPが出たらしく、DatPiffのアプリで聞いていた。ミックステープといえども、さすがにApple MusicやSpotifyのストリーミング・サービスで聞けないと、おそろしく存在感がないし、不便である。ぼくらはアーキテクチャとフィルター・バブルのなかで生きているのだ。
  • スマホにはDatPiffとAudiomackのアプリをいれているが、よく使うのはAudiomackのほうだ。
  • なんとなくDatPiffのアプリを開いて、たまたま気になったRetHのAfter the Verdictという新しいミックステープを聞いたが、これはけっこうよかった。その流れでDa$hのミックステープを聞いたりした。 http://www.datpiff.com/RetcH-After-The-Verdict-mixtape.903171.html
  • けっきょく、ミックステープという形式が廃れた(といったら反論がきそうだが)のも、ストリーミング・サービスのせいだろう。ミックステープをダウンロードする、それを自分のiTunesのライブラリにいれる、そしてスマホでダウンロードして聞く、などという面倒なことはもう誰もやらないのだ。
  • だが、2010年代の前半まではまだミックステープというフォーマットは元気だった。というか、そこから新たなスターが現れ、おもしろいラップ・ミュージックが生まれていたものだった。
  • いま、ラッパーにとっては、Spotifyか、あるいはYouTubeでヴァイラル・ヒットをねらうほうが現実的だろう。
  • なので、アルバムではなく曲で聞くスタイルに戻らないととは思っているが、なかなか曲で聞く気が起きないし、移動中や出先で聞くのにも通信量の制限があるのでままならない。オフィスのWi-Fiが使えないのが悪い。
  • そういえば、ノートPCにBluetoothのドライバをいれてくれと頼んだのにむげに却下されたことも納得がいかない。
  • 原稿を書いたりメールを書いたりするスピードが圧倒的に早く、正確になるので、Google日本語入力をいれてくれと頼んだのに却下されたことも思い出した。納得がいかない。それなりの企業なのでセキュリティをしっかりとしているのだが、反面、がばがばなところもあり、よくわからない。
  • 不満を言っていたらきりがないが、どうでもいい……。未来とか将来とか、どうでもいい……。なにもかもがどうでもいい……。
  • RP Booの新作、I'll Tell You What!を聞いている。かっこいい。アートワークも最高だ。
  • フットワークのプロデューサーでは、DJラシャドがいちばん好きだ。トラックスマンのソウルフルな感じよりも、あの洗練といびつさが同居したようなよくわからないサウンドにひかれるのだ。そういえば、フットワークと出会ったのは、ECDさんのツイートがきっかけだったような気がする。
  • じぶんは音楽というものは世の中にとって大きいものだと思っていたが、そうでもないのだということを、最近は実感している。当たり前といえばそうだ。
  • 月曜日。R+R=NOWの記事の後編を公開。こういった見取り図や語りかたはロックに関しては不可能なものだと痛感。ラップ・ミュージックやR&Bをはじめ、アフリカン・アメリカンの音楽が市場を独占し、すぐれた作品を発表しているのも、こうした縦と横のつながりが広がり、歴史が積み重なり、ひとつの大きな地図を織りなしているからだろう。
  • 火曜日。精神的な限界が訪れ、18時から新宿のTOHOシネマズで『ハン・ソロ』(というか、これは原題がSoloであるというのが重要なはずなのだが)を見た。鑑賞中もいろいろなポイントでモヤッとし、気持ちよく映画館を後にできなかったのは残念。だが、エミリア・クラーク演じるキーラ、ドナルド・グローヴァー演じるランド・カルリジアン、フィービー・ウォーラー=ブリッジ演じるL3-37という3人の稀有なキャラクターと出会えたことは大きかった。『ローグ・ワン』よりも、ずっとスター・ウォーズ的な映画だと思った。詳しくはFilmarksに感想を書いた。
  • 水曜日。TAMTAMのリリパ@WWWへ遅れていく。最初は上のほうで見ていたがよくわからず、一度外に出て、最下層、ステージ前で見た。WWWはスピーカーが下のほうについているので、上のほうで聞いていてもよくわからないのだ。すぐ近くで聞くTAMTAMの演奏は、最高だった。
  • 現在のTAMTAMは、サウンドのデザインは実験的だが、ソングライティングがすぐれていて、メロディーも親しみやすく、なによりダンス・ミュージックとして楽しめるところがすばらしい。ライブでそれを強く感じた。
  • 柳樂さんも書いていたが、TAMTAMはその志しを共有でき、並走できるバンドが国内にほとんどいないところが不幸なのかもしれない。しかし、これだけの音楽をやっていればそういったものは後からついてくるものだと思いたい。
  • 木曜日。朝、それなりに混んだ山手線内で、不快な思いをした。電車が揺れるたびにすぐ近くにいたOLらしき若い女性が、スマホの先端、しかもイヤホンのコネクタがついている部分で強く背中を押してくるのだ。彼女を睨むと、なぜか睨み返された。わけがわからない。駅構内や電車内には、奇妙な攻撃性をもった人間が多い。
  • 「#わざとぶつかる人」の件もそうだが、電車内や駅構内でおかしなことをしたり、利己的なふるまいをする人間は、そういった場所を匿名の空間だと考えているのだと思う。都市ならではの構造上の匿名性(では実際はないのだが)を過信し、それに甘え、攻撃性を発揮する。ジョギングでもしたらどうだろうか。
  • 金曜日。西日本の大雨の被害よりも、オウム事件の死刑囚が7人、死刑執行されたことのほうが大きく報道されていたことに違和感。とはいえ、災害に関しては、どんどん状況が変わっていくので、報道の対応も難しいだろう。
  • ぼくは当然、死刑制度に反対である。人権を完全に無視したもので、時代遅れにもほどがある。優生保護法をつい20年前まで維持していたこの国らしいといえばそうだが。
  • 優生保護法による不妊手術の実態が最近、盛んに報道されているが、そのことを考えると腸が煮えくり返る。
  • 逆に人権をまったく侵害しない、縛らない究極の自由主義国家が、新聞で読んだリベルランドなのだが、しかしこれは勝ち組による新自由主義国家でもあるので、どうしようもない。「どうしようもない」というか、勝手にやっていてくれという感じだ。「勝手にやっていてくれ」というか、税金を収めて再分配してくれという感じだ。リベルランドは、ふるさと納税タックス・ヘイヴンの大規模版である。 https://www.asahi.com/articles/ASL6Y3CDWL6YUHBI00X.html
  • 死刑制度のある国で育ったから、それが前提としていることに思考を縛られすぎている人があまりにも多すぎると感じている。だいたい、冤罪で死刑になったとしたら、どうするのだろう。
  • 90年代、オウムをおもしろがったり支持したりしていたテレビなどのメディア、知識人、サブカル界隈の人間たちへの批判や反省を目にする。もちろん、『ディープ・コリア』の件と地続きだろう。
  • ウワノソラの『陽だまり』のアナログ盤がリリースされた。金曜日のとある取材後、渡辺裕也さんを買い物に付き合わせて、しゃべりながらタワーの渋谷店に行ったが売っておらず、けっきょくディスクユニオンで買った。昨日、今日と2度聞いたが、ほんとうにすばらしい。掛け値なしの傑作だ。角谷くん、元気だろうか。
  • 土曜日。新聞で2面にわたって掲載されていたオウム事件のあらましをよんだが、どう考えても坂本弁護士事件の段階で止められたはずが、警察が松本および地下鉄サリンを「許してしまった」という感がぬぐえない。
  • 田無のLIVINへいった。ただのデパートだが、子どものころからいっている場所がまだあることには、なんとなく心強いものがある。地下のジュピターでコーヒー豆を買い、習慣で3階のおもちゃ売り場を見た。
  • 妻が母に紅茶を渡したいというので、実家へいった。母がうなぎを食べたいというので、うなぎをとった。出前だが、予想以上にうまかった。
  • とはいえ、Twitterなどで意識の高いひとは、「このご時世にうなぎを食うなど、ひとにあらず」といった感じである。ぼくはうなぎが大好きだがあまり食べないようにはしていて、だから罪悪感を感じないわけでもない。
  • イオンが持続可能なうなぎの養殖をやろうとしているらしいというのを新聞で読んだが、うなぎ好きとしてはそこに望みをかけるだけである。

日記

  • 今週はこれといった新譜がないななんて思っていたら、フューチャーのミックステープとミーク・ミルのEPが出ていた。まだ聞いていない。
  • アイラヴマコーネンの新しいEPが出たらしく、DatPiffのアプリで聞いていた。ミックステープといえども、さすがにApple MusicやSpotifyのストリーミング・サービスで聞けないと、おそろしく存在感がないし、不便である。ぼくらはアーキテクチャとフィルター・バブルのなかで生きているのだ。
  • スマホにはDatPiffとAudiomackのアプリをいれているが、よく使うのはAudiomackのほうだ。
  • なんとなくDatPiffのアプリを開いて、たまたま気になったRetHのAfter the Verdictという新しいミックステープを聞いたが、これはけっこうよかった。その流れでDa$hのミックステープを聞いたりした。 http://www.datpiff.com/RetcH-After-The-Verdict-mixtape.903171.html
  • けっきょく、ミックステープという形式が廃れた(といったら反論がきそうだが)のも、ストリーミング・サービスのせいだろう。ミックステープをダウンロードする、それを自分のiTunesのライブラリにいれる、そしてスマホでダウンロードして聞く、などという面倒なことはもう誰もやらないのだ。
  • だが、2010年代の前半まではまだミックステープというフォーマットは元気だった。というか、そこから新たなスターが現れ、おもしろいラップ・ミュージックが生まれていたものだった。
  • いま、ラッパーにとっては、Spotifyか、あるいはYouTubeでヴァイラル・ヒットをねらうほうが現実的だろう。
  • なので、アルバムではなく曲で聞くスタイルに戻らないととは思っているが、なかなか曲で聞く気が起きないし、移動中や出先で聞くのにも通信量の制限があるのでままならない。オフィスのWi-Fiが使えないのが悪い。
  • そういえば、ノートPCにBluetoothのドライバをいれてくれと頼んだのにむげに却下されたことも納得がいかない。
  • 原稿を書いたりメールを書いたりするスピードが圧倒的に早く、正確になるので、Google日本語入力をいれてくれと頼んだのに却下されたことも思い出した。納得がいかない。それなりの企業なのでセキュリティをしっかりとしているのだが、反面、がばがばなところもあり、よくわからない。
  • 不満を言っていたらきりがないが、どうでもいい……。未来とか将来とか、どうでもいい……。なにもかもがどうでもいい……。
  • RP Booの新作、I'll Tell You What!を聞いている。かっこいい。アートワークも最高だ。
  • フットワークのプロデューサーでは、DJラシャドがいちばん好きだ。トラックスマンのソウルフルな感じよりも、あの洗練といびつさが同居したようなよくわからないサウンドにひかれるのだ。そういえば、フットワークと出会ったのは、ECDさんのツイートがきっかけだったような気がする。
  • じぶんは音楽というものは世の中にとって大きいものだと思っていたが、そうでもないのだということを、最近は実感している。当たり前といえばそうだ。
  • 月曜日。R+R=NOWの記事の後編を公開。こういった見取り図や語りかたはロックに関しては不可能なものだと痛感。ラップ・ミュージックやR&Bをはじめ、アフリカン・アメリカンの音楽が市場を独占し、すぐれた作品を発表しているのも、こうした縦と横のつながりが広がり、歴史が積み重なり、ひとつの大きな地図を織りなしているからだろう。
  • 火曜日。精神的な限界が訪れ、18時から新宿のTOHOシネマズで『ハン・ソロ』(というか、これは原題がSoloであるというのが重要なはずなのだが)を見た。鑑賞中もいろいろなポイントでモヤッとし、気持ちよく映画館を後にできなかったのは残念。だが、エミリア・クラーク演じるキーラ、ドナルド・グローヴァー演じるランド・カルリジアン、フィービー・ウォーラー=ブリッジ演じるL3-37という3人の稀有なキャラクターと出会えたことは大きかった。『ローグ・ワン』よりも、ずっとスター・ウォーズ的な映画だと思った。詳しくはFilmarksに感想を書いた。
  • 水曜日。TAMTAMのリリパ@WWWへ遅れていく。最初は上のほうで見ていたがよくわからず、一度外に出て、最下層、ステージ前で見た。WWWはスピーカーが下のほうについているので、上のほうで聞いていてもよくわからないのだ。すぐ近くで聞くTAMTAMの演奏は、最高だった。
  • 現在のTAMTAMは、サウンドのデザインは実験的だが、ソングライティングがすぐれていて、メロディーも親しみやすく、なによりダンス・ミュージックとして楽しめるところがすばらしい。ライブでそれを強く感じた。
  • 柳樂さんも書いていたが、TAMTAMはその志しを共有でき、並走できるバンドが国内にほとんどいないところが不幸なのかもしれない。しかし、これだけの音楽をやっていればそういったものは後からついてくるものだと思いたい。
  • 木曜日。朝、それなりに混んだ山手線内で、不快な思いをした。電車が揺れるたびにすぐ近くにいたOLらしき若い女性が、スマホの先端、しかもイヤホンのコネクタがついている部分で強く背中を押してくるのだ。彼女を睨むと、なぜか睨み返された。わけがわからない。駅構内や電車内には、奇妙な攻撃性をもった人間が多い。
  • 「#わざとぶつかる人」の件もそうだが、電車内や駅構内でおかしなことをしたり、利己的なふるまいをする人間は、そういった場所を匿名の空間だと考えているのだと思う。都市ならではの構造上の匿名性(では実際はないのだが)を過信し、それに甘え、攻撃性を発揮する。ジョギングでもしたらどうだろうか。
  • 金曜日。西日本の大雨の被害よりも、オウム事件の死刑囚が7人、死刑執行されたことのほうが大きく報道されていたことに違和感。とはいえ、災害に関しては、どんどん状況が変わっていくので、報道の対応も難しいだろう。
  • ぼくは当然、死刑制度に反対である。人権を完全に無視したもので、時代遅れにもほどがある。優生保護法をつい20年前まで維持していたこの国らしいといえばそうだが。
  • 優生保護法による不妊手術の実態が最近、盛んに報道されているが、そのことを考えると腸が煮えくり返る。
  • 逆に人権をまったく侵害しない、縛らない究極の自由主義国家が、新聞で読んだリベルランドなのだが、しかしこれは勝ち組による新自由主義国家でもあるので、どうしようもない。「どうしようもない」というか、勝手にやっていてくれという感じだ。「勝手にやっていてくれ」というか、税金を収めて再分配してくれという感じだ。リベルランドは、ふるさと納税タックス・ヘイヴンの大規模版である。 https://www.asahi.com/articles/ASL6Y3CDWL6YUHBI00X.html
  • 死刑制度のある国で育ったから、それが前提としていることに思考を縛られすぎている人があまりにも多すぎると感じている。だいたい、冤罪で死刑になったとしたら、どうするのだろう。
  • 90年代、オウムをおもしろがったり支持したりしていたテレビなどのメディア、知識人、サブカル界隈の人間たちへの批判や反省を目にする。もちろん、『ディープ・コリア』の件と地続きだろう。
  • ウワノソラの『陽だまり』のアナログ盤がリリースされた。金曜日のとある取材後、渡辺裕也さんを買い物に付き合わせて、しゃべりながらタワーの渋谷店に行ったが売っておらず、けっきょくディスクユニオンで買った。昨日、今日と2度聞いたが、ほんとうにすばらしい。掛け値なしの傑作だ。角谷くん、元気だろうか。
  • 土曜日。新聞で2面にわたって掲載されていたオウム事件のあらましをよんだが、どう考えても坂本弁護士事件の段階で止められたはずが、警察が松本および地下鉄サリンを「許してしまった」という感がぬぐえない。
  • 田無のLIVINへいった。ただのデパートだが、子どものころからいっている場所がまだあることには、なんとなく心強いものがある。地下のジュピターでコーヒー豆を買い、習慣で3階のおもちゃ売り場を見た。
  • 妻が母に紅茶を渡したいというので、実家へいった。母がうなぎを食べたいというので、うなぎをとった。出前だが、予想以上にうまかった。
  • とはいえ、Twitterなどで意識の高いひとは、「このご時世にうなぎを食うなど、ひとにあらず」といった感じである。ぼくはうなぎが大好きだがあまり食べないようにはしていて、だから罪悪感を感じないわけでもない。
  • イオンが持続可能なうなぎの養殖をやろうとしているらしいというのを新聞で読んだが、うなぎ好きとしてはそこに望みをかけるだけである。

日記

  • 10代後半から20代前半にかけて聞いていた音楽が、いま自分の糧になっていることを感じる。映画や本にしてもそうで、鬱屈としていた高校時代、苦しかった浪人時代の一年間、そしてわけもわからぬまま過ごしていた大学の四年間も無駄ではなかったのだなと安っぽいな感慨にふける。
  • 10代後半にエリック・B&ラキムやパブリック・エネミーデ・ラ・ソウルやア・トライブ・コールド・クエストやジャングル・ブラザーズを熱心に聞いていなかったとしたら、いま、ラップ・ミュージックを追いかけていなかったと思うし。
  • よくよく思い返してみると、中学時代にエミネムの『8マイル』やD12、ザ・ゲーム、50セント、あるいは、ジェイ・Zとリンキン・パークの『コリジョン・コーズス』が流行っていたことは、自分にとって重要なことだった。
  • 15歳。同級生のHに借りたアウトキャストの『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』は、当時はまったく理解できなかったけれど、わけもわからずあのアルバムを聞いていたことは、ほんとうに意味のあることだった。ぼくはいまだに『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』を聞き続けているし、特異な作品であるとともに、現在のラップ・ミュージックの状況において、どう考えても重要な作品だ。
  • 『スピーカーボックス/ザ・ラヴ・ビロウ』を貸してくれたHは、たぶんもう、アウトキャストを聞いてはいないだろうし、ラップにも興味はないだろう。彼は高校進学後、ヴィジュアル系の道に進み(彼の母親がデヴィッド・ボウイのファンだったので、なんとなく納得のいくところではある)、30歳を目前にしてホストのような髪型で、ツイッターとインスタグラムに奇妙に加工されたセルフィーを投稿し続けている。これはヘイトではまったくなく、そういう人生もあるということだ。
  • 18歳。『カインド・オブ・ブルー』のCDをHMVで買っていなかったとしたら、現在のジャズに興味も持てなかったことだろう。そういえば、『クールの誕生』も同時期に買ったえけど、当時もいまもあの作品のことはよく理解できていない。ギル・エヴァンスは大好きだが。
  • 専門学校の作曲科に進み、ジャズを学んでいたCからルイ・アームストロングのホット・ファイヴとホット・セヴンのコンピレーションを借りていなかったとしたら。
  • カウント・ベイシーのデッカ時代の録音集をずっと聞いている。実にいい。グレン・ミラーベニー・グッドマンはいまだによくわからないけれど。
  • サッチモのホット・ファイヴ、ホット・セヴンとの録音と、デューク・エリントンのブラントン/ウェブスター時代の作品は、どれもいまだに大好きだ。
  • サッチモの全盛期からエリントンの全盛期までには15~20年ほどの隔たりがあるし、並べるのもおかしいけれど。そういった音楽を「プレ・モダン・ジャズ」と片付けてしまうのはよくない。
  • 100年前とか、それ以前のことになると歴史に対する視界の解像度が一気に荒くなる。それは、いたしかたない部分もある。
  • 当然のことではあるが、作品の評価というものは相対的なものなので、そのときどきで変わっていくものだと思っている。
  • 例えば、ビートルズだったら『サージェント・ペパーズ』が絶対的な名盤とされていたのが、いつしか『リボルバー』のほうが重要になった。ただ、それも2009年頃のはなしかなと思う。じゃあ、いま重要なビートルズのアルバムってどれだろう。
  • ぼくは『ラバー・ソウル』が好きなんだけど。
  • 照沼さんとノジくんがビートルズだったら『フォー・セール』だと言っていたのが忘れられない。たしかにいいアルバムだ。それに、もちろん『ヘルプ!』も捨て置けない。
  • 名盤の評価は変わっていくものというところでいえば、ア・トライブ・コールド・クエストも『ザ・ロウ・エンド・セオリー』や『ミッドナイト・マローダーズ』よりも、たぶんいまは『ザ・ラヴ・ムーヴメント』のほうが重要だろう。それも、2000年代後半から2012年くらいまでのはなしであるような気もするが。
  • こういったことはかなり感覚的なことで、日々新譜を聞いているなかで感じているだけのこと。なので、根拠はない。まあ、ATCQについてはいくらか根拠がある。
  • わけのわからないリプライや引用ツイートは「通りすがりの顔射」みたいなものだと思っている。
  • 今週の記憶はほとんどない。
  • この2週間、毎日床で寝ている。
  • 寝不足なのに朝の8時から怒鳴り散らされて、大変不愉快な思いで土曜日の午前中を終えようとしている。

日記

  • 人間に一貫性を求めてはいけない。これ、ぼくのポリシー(Mr.Children“友とコーヒーと嘘と胃袋”より)。
  • Mr.Childrenの『Q』に収録されている“友とコーヒーと嘘と胃袋”は、Mr.Children最良の一曲である。
  • 日曜日。先週の日記を書いたあと、タワーレコード新宿店へ『素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事 1986-2018』を買いに行った。店頭で「高いな……」と思い、買うかどうかを20分迷ったあげく、けっきょく購入した。人生の時間は有限なのに、まったくもって無駄な20分である。
  • その後、ディスクユニオンへ行こうと、そばを歩いていた若い女性の脚をぼうっと眺めながら歩いていたら、店の入り口で方便凌に呼び止められた。オタク・チャンス・ミーティングである。
  • 新宿ピカデリーで二度目の『リズと青い鳥』を見るという方便と、どこかで茶でもしばくかと雨のそぼ降るなか靖国通り方面へと移動。サイゼリヤミスタードーナツとどこも満席で、角川シネマ新宿近くのルノワールに入店。小一時間歓談。進んでいる企画の話しを聞いたが、どれもなかなかおもしろそうだった。
  • Vtuberは速度が速すぎて、ちょっとこわいという話しをした。
  • 夕飯を作れなかったことで妻から怒られる。
  • 火曜日。HMV&BOOKS SHIBUYAの、Lampトーク・ショー+ミニ・ライブ+サイン会で司会というのか、聞き手をさせてもらった。予想以上に多くの方に来ていただいたので、めちゃくちゃ緊張したが、なかなかいいイベントだったと思う。Lampのお三方も満足してくださっていたようだし、なによりTwitterではファンの方々から「おもしろい話しが聞けた」とポジティブな反応が。
  • Lampは男性ファンが多いが、今回のイベントには女性が多かったと染谷さん、永井さん、香保里さんはよろこんでいた。
  • 終演後はみんなでタイ料理店で食事。ウワノソラの角谷くん、写真家の濱田英明さんも。考えてみれば、ぼくは全員と初対面だった。
  • 染谷さんは、きびしくてこわいひとだったらどうしようと思っていたが、もちろんそんなことはなかった。香保里さんは、(失礼かもしれないが、)ある意味で想像通りの方で、とても話しやすかった。永井さんはどんな方なのかまったく想像もつかなかったが、フレンドリーでおもしろいひとだった。トーク・ショーでも、永井さんの発言がかなりおもしろかった。
  • その後、角谷くんに誘われ、なぜか道玄坂で立ったまま缶ビールをすすりながら話し込むことに。しかも、終電近くまで。ほぼ同世代だが、ユニークきわまりない不思議な音楽家で、話していて楽しかった。これは明かしていいのかわからないけど、角谷くんが大量のディスク・ガイド本を持ち歩いて読み込んでいることがおもしろかった。
  • 角谷くんは曽我部さんへのインタビューを読んでくれていて、ぼくが「作品を聞いてもよくわからない」ことを直接ぶつけたり、ネガティブな気持ちになったことを正直に話していることをおもしろがってくれていたようだった。
  • ああいった質問をできたのも、曽我部さんという音楽家の度量の大きさゆえだと思う。それは『the CITY』をさらに壊そうとしている『the SEA』の試みによく表れていると思う。『the SEA』について曽我部さんは、「サニーデイ・サービスの曲を壊してくれる人に頼んだ」というようなことをおっしゃっていた。
  • 染谷さんと角谷くんがエリック・ドルフィーを知らないことに心底驚いてしまった。
  • 帰りながらウワノソラのファースト・アルバムを聞いて、感動した。
  • 『素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事 1986-2018』は意義深く、素晴らしい。当然ながら収録されていない楽曲も多いが、選曲や曲順、曲間と流れまでもがしっかりと考えられており、ひとつの作品として90曲を聞くことができる。隅々まで、細部まで行き届いている作品だ。
  • 愛聴してきた『きみになりたい。』とはまったくちがうし、columbia*readymadeのコンピレーション、『うたとギター。ピアノ。ことば。』ともちがう性格、性質の作品なのである(当然のことではあるが)。
  • 『素晴らしいアイデア』は、世代的にも3枚目がもっとも親しみ深く、3枚目ばかりを繰り返し聞いてしまう。特に“The International Chappie's Cheer-leading Team”から“慎吾ママのオハロック”、そして、“キミノヒトミニコイシテル”へと至る一連の楽曲は、涙なしには聞けない。
  • しかし、1枚目や2枚目も当然おもしろい。
  • 3枚目の時期から2000年代の小西康陽は、リミックス集の『ATTRACTIONS! KONISHI YASUHARU Remixes 1996-2010』でも聞けるとおり、いわば「激躁状態」であるが、しかし、『素晴らしいアイデア』からはあの時代の狂騒がなぜだかそれほど感じられない。「軽鬱状態」といってもいいピチカート・ワンの諸作品に近い手触りがあるのだ。それは、2018年に編まれた作品であるからなのか、あるいは小西康陽という作家の個性によるものなのか。そのどちらもだろう。
  • 小西さん(と面識もないのに、さんづけで呼ばせていただくが、)の歌詞は十代のときには馴染まなかったが、二十代後半になってやっと理解ができるようになってきた。きわめてドライな、ペシミスティックなリリックがおもしろいのだ。
  • 『素晴らしいアイデア』の各曲解説では、「東京の言葉のイントネーションにこだわってメロディーを書いているので、カバーなどでそれが変えられるのは遺憾だ」ということを何度か書かれているのだが、なるほどと得心がいった。小西さんの書く歌詞が、曲を聞いているとスムーズに、するっと入り込んでくるのは、そういうことだったのかと思った。
  • 10周年を迎えたリル・ウェインの『ザ・カーター・III』について思いを巡らせた。10年前、つまり2008年の音楽を振り返ることはとてもおもしろい。
  • 木曜日。体調を崩した。今週はほとんどソファで寝ていたので、睡眠不足と、日中はまともな食事をしていないから、栄養不足によるものだろう。胃腸炎か風邪かどちらかだと思ったが、風邪のようだった。
  • ぼくが風邪をひいたり体調を崩したときには、野菜ジュースを大量に飲む、スポーツドリンクやポカリスエットを大量に飲む、食欲がなくても食事をとる、ビタミンが入ったゼリー飲料を大量に飲む、寝るということをすると、半日くらいで無理矢理回復できる。実際に今回も半日で七割は体調が回復した。
  • Twitterのタイムラインは“HINOMARU”の話題でもちきりだ。うんざりする。
  • HINOMARU”に関しては、みんなユーモアが足りないと思う。
  • その点では、なんJ民による無作為、無差別攻撃に業を煮やしたネトウヨが左翼をからかうために“HINOMARU”の抗議デモを企画したという事実は、なかなかツイストしている。しかし、それ以前に同様の抗議行動をしようとしていた左翼もいたということで、さらにツイストしている。笑えるのか笑えないのかよくわからない状況だ。
  • 自分は左翼だし、大学ではそういう勉強をしていたわけだが、「一般的な左翼」にとってどうだかはわからない。しかし、そんなことはどうでもいいことだろう。
  • 二十代前半と比べると、自分の思想はずいぶん変化したと思う。
  • とりあえず、表現の自由を擁護する立場ではある。
  • 映画を見る時間がまったくなくなってしまった。時間がなくなったので、映画を見るモチベーションもなくなってしまった。
  • 言葉や表記に対するこだわりはその都度変化していくのだが、「聴く」「観る」という表記が最近、好きではなく、「聞く」「見る」と書きたい。「聴く」「観る」という表記に、おこがましさを感じるからだ。
  • ジェイ・ロック、SOPHIE、そして極めつけはカニエ・ウェストのプロデュースによるナズの新作と、今週は話題作が多い。音楽を取り巻く状況や仕事にはほとほと嫌になることも多いが(ほんとうにそうなのだ)、音楽、レコードを聞くことは、いつまで経ってもおもしろく、刺激的だ。

日記

  • ナイキの創業者であるフィル・ナイトの回顧録、『SHOE DOG』を読んだ。感動的な物語だ。冷めた書きぶりだが、個性的な登場人物たちの描写がおもしろい。よくある成功物語の類では決してない。混乱のなかをがむしゃらに突き進んでいった結果、ナイキという会社が生まれ、いまのような巨大なグローバル企業になったのだと思うと、不思議な感じだ。とにかく、やっていることはめちゃくちゃである。
  • フィル・ナイトは勉強家で、読書家で、博学だ。1960年代から1970年代の回顧録にも関わらず、サブカルチャーの話題は皆無だが、その代わりに登場するのは、もちろんスポーツ、あとはギリシア哲学、仏教、過去の戦争のはなしだ。
  • 『SHOE DOG』には「父と息子」というテーマが頻出する。ぼくに父はいない。いるが、見捨てられた。「父と息子」という関係性がわからないまま、ここまで生きてきている。だが、自分にとって父と呼べるような存在、メンターと呼べるような存在はいずれも男性で、それは不幸なことではなかったと思っている。
  • 宗教や思想には興味があるし、そこから得るものはたくさんある--というか、そういったものからインスピレーションを受けていままでやってきたわけだが、スピリチュアリズムはとにかく避けている。25歳になったくらいからだろうか、ここ数年はとにかく唯物主義的な傾向が強くなってきている。先日、友人と酒を飲んでいて、「寺社や古木にスピリチュアルなものを感じないのか」と問われたが、「少しは感じるかもしれないが、それは否定しようと努めている」と答えた。
  • 祖父の命日の前日に、義務感から初めて妻を連れて墓参りに行った。墓は家の近所にあるのだが、久しぶりに行った。墓参りに意味はないと思っているからだ。祖父や祖母は自分の心や記憶のなかにいる。それでじゅうぶんじゃないか。線香をあげ、墓石に向かって手を合わせているあいだ、特に何も考えなかった。形式だけの墓参りだ。じゃあ、なぜする必要がある? 墓参りにも、スピリチュアリズムにも、ましてやイエというものにも興味がない。
  • 祖父と祖母、そして曽祖父と曽祖母が入っている墓の墓石は、横長の長方形で、真新しくつるっとしている。それがなんとなく妙なのだが、数年前にできた墓場であるから、その周囲の墓石も真新しくてつるっとしている。なんとなくスピリチュアルなものには欠ける。しかも周囲の墓石の多くには、イエの名前でなくメッセージが刻まれている。「愛」「真心」「誠」「ありがとう」といった具合だ。なかには、「会いに来てくれてありがとう」と刻まれた墓石もある。おしゃべりな墓石だ。誰が誰に向けて言っているのだろう。
  • 新しい墓地の横に、古い墓地もくっついている。ぼろぼろの墓石や無縁仏が立ち並ぶ、少々薄気味悪いそちらの墓地のほうが、自分にはしっくりとくる。そういう墓地に来ると、子供の頃に読んだ水木しげるの『鬼太郎の誕生』を思い出す。「会いに来てくれてありがとう」と語りかける墓石もスピリチュアルかもしれないが、古くて薄気味悪い墓地もかなりスピリチュアルである。
  • 土日に仕事をする気が起きない。この日記も、ノートパソコンを立ち上げる気力が起きず、スマートフォンで書いている。
  • 先日、店長の矢島さんに無理を言って、ココナッツディスク吉祥寺店で撮影をさせていただいた。Hi,how are you?のアルバムの横に並べられていた横沢俊一郎の『ハイジ』というCDが気になった。矢島さんにきくと、「いいですよ。このへんとは界隈がちがう感じが」と言った。なんだかよくわからないが、買ってみた。1990年代、2000年代前半のローファイ、宅録ロックといったふうで、懐かしい感じ。何者なのかはまったく知らないが、気になる人物ではある。
  • ここ最近は、TAMTAMの新作、『Modernluv』とye、KIDS SEE GHOSTS、それと今月リリースされるカマシ・ワシントンの新作ばかり聴いている。TAMTAMの『Modernluv』は掛け値無しの傑作だ。『NEWPOESY』にはまだ、レゲエ/ダブ・バンドらしさも残っていたが、『Modernluv』では音響面での実験がかなり進んでいて、演奏や曲調も変化し、もはやレゲエ/ダブ・バンドと単純には呼べないような領域に足を踏み入れている。クロちゃんのボーカルも、すごくよくなっている。とにかく野心的で、挑戦的だ。ぼくは野心的で挑戦的なバンドが好きだ。
  • 『Modernluv』のサウンドにおける実験は、「ダブ」という概念の現代的な拡張だと思う。
  • 大学のとき、同級生のKが一時期、TAMTAM(当時、バンド名は“Tam Tam”だった)のギタリストだった。その頃、ぼくは渋谷の小さなライブハウスでTAMTAMの演奏を見ている。2010年とか、きっとそのくらいだろう。終演後、Kはアフィさんやクロちゃんを紹介してくれなかったが、ライブハウスで酒を一杯飲んで、そのあと、宮益坂を下って一緒に帰った。
  • Kは自信なさげな青年で、同じクラスの塩顔の男といつも行動を共にしていて、付き合っているのではないかと思っていた。格好も垢抜けない感じだったが、大学三、四年にもなると髪型や格好も少しスタイリッシュになっていた。Kは、しかし、ギターがうまかった。最近もプログレのコピーをやったりしているとアフィさんから聞いたが、とにかくテクニックはもっていた。
  • TAMTAMが2011年にリリースした最初の作品、『Come Dung Basie』をいま聞くと、その素朴さには驚かせられるが、同時に、挑戦と実験を重ねてここまできたのだという感慨がある。『Come Dung Basie』はTAMTAMのサイトのディスコグラフィーにも載っていないので、バンドにとってはあまり思い出したくない作品かもしれない。
  • 『Modernluv』をメディアやクリティックが無視するとしたら、それは怠慢だと思う。
  • TAMTAMのバンドとしてのおもしろさは、ダブ・バンドであるのにベースが演奏を牽引しているわけではないというところだ。存在感があるのは、やはりクロちゃんの伸びやかなボーカルとアフィさんのドラミングで、加えて、ソングライティングが優れている。不思議なバンドだと思う。
  • ぼくはいま、『素晴らしいアイデア 小西康陽の仕事 1986-2018』を買いに行こうかどうか悩んでいる。金もないし、時間もそれほどない。なにしろ、高いと思う。けれども、たぶん買うことになるだろう。
  • 火曜日のLampトークショーが不安だ。

広末涼子 - ARIGATO! (1997年) by 天野龍太郎

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 庵野秀明が「新人」として実写映画監督デビューを果たした『ラブ&ポップ』で、コギャルではないごく普通の女子高生たち4人が、中年の、サラリーマン風の男と“大スキ!”を歌っている。1997年の夏、渋谷の街のカラオケで。「写真いっぱい撮ったね/『今すぐ見たいよぉ』」。主人公の裕美(三輪明日美)は、刹那的に過ごしている日々の断片を切り取っておくために、小遣いを貯めてコンパクト・カメラ(もちろん当時はフィルム)を買ったのだった(映画のクライマックスで、浅野忠信演じる狂った男、キャプテンEOとラブホテルへと向かう道中でも裕美は、パシャパシャと無邪気にシャッターを切っている)。カラオケがひとしきり盛り上がったあと、男はうやうやしい手つきで4人それぞれにマスカット1粒を口に含ませ、それを吐き出させ、回収し、丁寧に容器に保存する。12万円を彼女たちに手渡し、男は雑踏へと消えていく。「今日ね/すごくね/むちゃくちゃ楽しかった/ありがと。ダーリン」。

 岡本真夜が書いた“大スキ!”は、スクラッチブレイクビーツのイントロダクションから、ソウル風のホーンがきまり、オルガンとアコギがレゲエのビートを刻んでいく――キメラ的なハイブリッド感が絶妙な、まごうことなきJ-POPソングだ。あるいは、竹内まりやの手になるデビュー・シングルの“MajiでKoiする5秒前”もある意味ハイブリッドで、というのもその曲では、モータウン(アメリカ北部)の“恋はあせらず”のビートを借りながら、スタックス(同南部)のソウル・チルドレンの“I Don't Know What This World Is Coming To”がサンプリングされている。

 そのハイブリッド感覚とは、「アフリカ系アメリカ人の音楽なら(北だろうと南だろうと)同じだろう」という軽薄で隙だらけの予断からくるもので、あるいは、あらゆる文脈を断ち切ってしまう、超日本的なポストモダン感覚と言い換えてもいい。とはいえ、しかし、この2曲から聴取すべき厳然たる事実はもっともっと表層的なもので、それはつまり、小沢健二の『LIFE』(1994年)や“痛快ウキウキ通り”(1995年)のサウンドが、その後4、5年はJ-POPシーンの良識的な作家たちにかなり深刻なトラウマを植えつけたのだ、ということだろう。

 その「小沢健二のトラウマ」に悩まされながらも独自の色を作品に落とし込んでいるのは、全編に渡って編曲を手がけている藤井丈司である。『ARIGATO!』は彼の仕事を楽しむアルバムでもある。原由子や元ピチカート・ファイヴの高浪敬(慶)太郎といったアルチザンたちが書いた楽曲を、ある曲ではオーセンティックに、またある曲ではR&B風に、さらにはテクノポップ風に調理している。

 小沢健二は「王子様」としてオリーブ少女たちのカルトな信仰を集めた一方で、広末涼子のピュアでウェルメイドなアイドル・ソングは援交少女たちのサウンドトラックとされた(すくなくとも、『ラブ&ポップ』においては)。少女は片思いの相手をデートに誘い、「さり気なく腕をからめて/公園通りを歩く」(“MajiでKoiする5秒前”)。ここでの小沢健二の歌詞とのちがいは、主語の性別くらいのものだろう。だがそのちがいは、少女たちにとってはおそらく大きいはずだ。たとえ他人が書いたリリックを偶像、広末が歌わされたものであったとしても。2000年代のリアルを担ったのが浜崎あゆみだったとして、では、2010年代は? 2016年、JKリフレ嬢たちのサウンドトラックはどんなものだろう。彼女たちにとっての広末涼子はいま、誰なのだろう。 (20 Feb. 2016)